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歴史の雑学

カトリックの教皇が女だったことがある?【歴史の雑学】

カトリックでは、司祭以上の聖職者は、独身の男性以外は就任できないという決まりがあります。

しかし、かつてこの聖職者の最高位である教皇に、女性が就いていたという大スキャンダルがりました。

 

ヨハン・アングリクスなる人物は 9世紀はじめにイングランドからアテネにわたり、そこで学問的な命名をはせ、その後ローマに向かいました。

彼の地の大学で文法・修辞学・論理学を教えるなどして、さらに名声を博し、ついには枢機卿に任命されたのです。

 

855年に教皇レオ4世が没すると、枢機卿によるコンクラーベでヨハン・アングリクスが教皇に選出されました。

新教皇ヨハネス8世の在位はおよそ2年でした。

 

13世紀のポーランドの年代記作家、マルティンの著作によると、ヨハネス8世は教皇在位中、サン・ピエトロ大聖堂から サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂に向う途中の細い路地で「出産」したといます。

 

つまりヨハネス8世は女教皇ヨハンナだったというわけです。

その際にヨハンナは、教皇が女性であるという事実を知って怒り狂った民衆に馬の尻尾に足をくくりつけられて引きずられ、石を投げつけられて殺されたという説もあります。

 

ヨハンナの夫は学者で、イングランド以来行動をともにした人物ともいわれています。

 

女教皇が過去に実在したという話しは、13世紀ころから世間に広がり始めました。

ただし、教皇の死後 350年もたってからの話しであったため、その信ぴょう性にはさまざまな疑問も呈されています。

いったんはそれを認めたかのようなバチカンも、後に否定しています。

 

16世紀の宗教改革では、プロテスタントの著述家は、反カトリックの立場から女教皇の実在を強く主張しました。

 

しかし、現代の歴史家の多くは、教皇就任の時期的な矛盾から、教皇ヨハネス8世の実在を否定しています。


[surfing_su_box_ex title="コンクラーベ"](Conclave)ローマ・カトリック教会において教皇を選出するための会議、選挙制度。 ラテン語の「クム・クラーベ」(Cum clavi=カギがかけられた)が語源。 外部と隔離された状態で、枢機卿が教皇の選出を行う。 [/surfing_su_box_ex]

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